最高裁判所第一小法廷 昭和54年(オ)1031号 判決 1982年6月17日
上告人
株式会社
名古屋相互銀行
右代表者
朽木義一
右訴訟代理人
若山資雄
被上告人
王子商事株式会社
右代表者
鶴田清
右訴訟代理人
堀部進
主文
原判決を破棄する。
本件を名古屋高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人若山資雄の上告理由について
原審は、(一) 被上告人の振出にかかり、上告人覚王山支店を支払場所とする約束手形である本件手形が、その支払呈示期間内である昭和四五年八月一七日に所持人である訴外大橋三尾から取立委任を受けた訴外静岡銀行により名古屋手形交換所における手形交換の方法をもつて支払のため呈示されたこと、(二) 被上告人は、同日、上告人覚王山支店の係員に対し、本件手形を不渡返還し、持出銀行たる静岡銀行から不渡届が出されればこれに対し異議申立をすることを委託し、同支店係員はこれを承諾したこと、(三) そこで、上告人は、本件手形に契約不履行を理由として支払を拒絶する旨の付箋を付し、右手形を静岡銀行に不渡返還したうえ、同月一九日午前一〇時までに右手形交換所に対し不渡事由を契約不履行とした異議申立書を提出したが、右申立書には当時の右手形交換所における慣行に従つて被上告人作成の理由書が添附されていたこと、(四) 同日、右手形交換所の職員は、上告人に対し、右理由書の記載内容は手形が詐取されたものであることを不渡事由とするものとみられるから、手形付箋、異議申立書及び理由書にそれぞれ記載された不渡事由を符合させるように取り計らつてほしい、そうでなければ異議申立を受理することができない旨を連絡したこと、(五) 上告人としては、手形交換所の右のような指示に対し、右異議申立が手形交換所規則所定の要件を充足するものであることを指摘してあくまでもその受理を求めるなり、あるいは右指示に従つて被上告人に前記理由書の内容を契約不履行に該当することが明確となるように書き直させるなり、適宜の措置をとることにより、異議申立の期限である同日午後三時までに異議申立が受理されるよう取り計らうべきであつたところ、上告人の係員は、右指示の趣旨を不渡事由を手形詐取に改めるよう求められたものと誤解したため、そのように異議申立書を書き改め、これに伴い手形の付箋の不渡事由も改めようとして付箋の付け替えにつき持出銀行の了解を得ようとして奔走したが、その間に異議申立の期限が過ぎ、結局異議申立は受理されずに終つたこと、(六) そこで、被上告人は、銀行取引停止処分を免れるため、やむなく本件手形金相当額を静岡銀行に支払つたこと、以上の事実関係を確定したうえ、右事実関係に照らせば、上告人は前記異議申立手続をすることを内容とする被上告人との間の委託契約上の債務につき本旨に従つた履行をしたものとはいえず、右債務不履行の結果被上告人は手形金額相当の損害を被つたとして、被上告人の上告人に対する右金額の損害賠償請求を認容した。
上記の事実関係に関する原審認定は原判決挙示の証拠関係に照らし正当として是認することができ、また、右事実関係のもとにおいて上告人に前記委託契約上の債務の不履行があるとした原審の判断は相当であつて、これにつき所論の違法があるということはできない。
しかしながら、右のように被上告人が本件手形金相当額の持出銀行への支払によつて同金額相当の損害を被つたとされるためには、そもそも被上告人が右銀行を通じて手形金の支払を受けた手形所持人である大橋に対して右手形金の支払義務を負つていなかつたことがその前提となるべきものといわなければならないところ、右大橋が手形として形式上の要件を具え、かつ、裏書の連続のある手形の所持人であるとすれば(このことは被上告人の間接に自認するところである。)、それにもかかわらず被上告人において右大橋に対し右手形金を支払うべき義務がなかつたとする特段の事由の存在が肯定されない限り、右の前提を欠くこととなり、被上告人は手形金相当額の損害を被つたものとして上告人に対しその賠償を請求することができない筋合である。しかるに、原審は、右の支払義務の存否につきなんら格別の判断を加えることなく、被上告人が右大橋に対して本件手形金相当額を支払つたことから直ちに上告人の債務不履行によつてこれと同額の損害を被つたものと結論しているのであつて、右は損害の発生に関する民法の解釈適用を誤り、ひいて審理不尽、理由不備の違法を犯したものといわなければならない。論旨は、この点において理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、右の点について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すのが相当である。
よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
(藤﨑萬里 団藤重光 本山亨 中村治朗 谷口正孝)
上告代理人若山資雄の上告理由
第一点 原判決には理由の齟齬がある(民訴三九五条)。
被上告人が振出した本件金五〇〇万円の約束手形について、上告人に対し右手形の不渡異議申立を手形交換所に対してなすことを委託し、異議申立提供金として使用するため金五〇〇万円を預託し上告人はこれを受領し右異議申立手続をなすことを約したことは、委任契約の締結であり、上告人は右契約にもとづいて受任事務、すなわち、被上告人に対する不渡処分避止の措置をとるべき義務(債務履行)を負うものであるが、この場合、約束手形の振出人たる被上告人(支払人)と手形受取人(所持人)との間に、いかなる契約がなされているのか、またいかなる事情事由が存在するかについては上告人(支払銀行)の全く関知するところではなく、上告人は右の契約、事情、事由の真偽を調査する義務を負わないものである、けだし、そうでなければ、かりに不渡返還後に手形振出人申出の不渡理由が間違つていた場合、たとえそれが信用に関しない事由であつたとしても、ひいては不渡宣言を行つた支払銀行(上告人)までが紛争に巻き込まれるおそれなしとは断言できないからである、されば信用を生命とする銀行としては、不渡理由については、その真偽の調査又は指示等をしないのは当然である。
しかるに、原判決は、その理由三において、「上告人が本件異議申立手続をすることの委託を受けた際に被上告人から聴取した手形金支払の拒絶事由は、要するに信用に関せざる契約不履行であると判断したのであるから(右支払拒絶理由は被上告人の要請によるものではなく、異議申立手続を専門に取扱う銀行業者としての独自の立場からなした判断によるものであり、その故にまた上告人支店では本件手形の付箋に支払拒絶理由として、契約不履行と記載したものである)受託にかゝる異議申立手続も右拒絶理由を基礎として事務を遂行すべく、所要の手形書類もこれに相応して整えるべきことは当然であるといわなければならない」旨説示し(中略)そして「上告人支店において、手形交換所の事務担当職員から上告人支店の提出にかゝる異議申立書記載の支払拒絶事由及び手形の付箋の理由と、同申立書に添付した理由書(乙第一号証)記載の支払拒絶理由とが一致しないこと(すなわち、前二者は「契約不履行」と明確に読みとれるのに、後者は「詐取」とも読みとれるような不明確な記載であること)から、これらを符合させるよう調整してほしい旨の指示を受けた際、上告人支店としては、異議申立手続をなすにつき銀行協会において定められた必要事項は履践しているのであるから、手形交換所側の右指示こそ誤つているもの(すなわち前記各書面記載の支払拒絶理由は、上告人支店としては、信用に関せざる事由において実質的に一致していると判断するのであつて、指摘されるような齟齬はないということ)として一たん右異議申立がなされた以上、そのまゝ手続を進めるべきであるとの立場から手形交換所側に飜意を促すか、それとも言々」と説示し、上告人支店のなした異議申立手続は委任契約による債務の本旨に従つたもの(銀行協会において定められた必要事項の履践)と認定し、手形交換所側の指示こそ誤りであると判断している。この場合上告人支店は原判決がいうように手形交換所側に飜意を促すべき責務まであるのか首肯することができない、けだし本件の場合上告人が委任契約上の債務の外に被上告人のために不渡処分避止の措置をなすべき法律上の義務のあることを肯認すべき根拠はないからである。
原判決は右の点において理由に齟齬がある譏を免れない。
また、原判決理由は「手形交換所側に飜意を促すか、それとも手形交換所側の前記指示を受け容れて、右指示通り異議申立手続に必要な書類を再度調整するかのいずれかの方策を選択すべきであつたところ、上告人支店は後者(必要な書類を再度調整)の方策を選んだのであつた」旨判示し以下上告人支店の採つたその後の手続は不手際と非難するけれども、これは明らかに原判決の独断であり、本件の場合、上告人支店が支払銀行としては、なしてはならないことを要求しているものというべきである。すなわち、上告人支店は被上告人申出の「契約不履行」の事由の真偽を調査する必要なく、かりに疑問をいだいても、その申出のとおりに不渡返還すればよく、また、そうしなければならないのである、従つて手形交換所側が「契約不履行」とする理由書の事由内容を「詐取」と判断して、手形の付箋の支払拒絶の理由と一致するよう指示したことは、支払銀行たる上告人支店として、右指示を以て、理由書を「詐取」とするよう書換を求められたものと解するのは当然であつて、この点に関する原判決の説示は、独断であり、所詮、支払銀行が遵守しなければならないこと換言すれば、してはならないことを求めているのであり、そしてこれをしたならば異議申立手続が手形交換所所定の時限に間に合つたというのである。本件の場合、上告人支店のなした手続が右時限に間に合わなかつたといつても、それが約三、四〇分程度に過ぎなかつたことは証拠上明白であり原判決の説示は結果論に過ぎない、上告人支店が善良なる管理者の注意を怠らなかつたことを否定することはできないのであつて、原判決が上告人支店の手続を目して不手際であつたと表現しているが妥当ではない。
すなわち、原判決理由には齟齬がある。
第二点 原判決理由は法律の解釈を誤つた違法あるものである(民訴三九四条)。
かりに、本件手形不渡異議申立手続遂行に際し、上告人支店に不手際(債務不履行)がありそれに因つて被上告人が損害を受けたとするならば、上告人においてこれが賠償義務があるところ、その損害賠償の範囲は民法第四一六条に定められているのである。被上告人は本訴において、上告人支店の右不手際に因り、静岡銀行に手形金を支払つたのでこれが手形金相当額の損害を受けたとしこれが賠償を請求するものである。しかしながら被上告人は手形金支払の義務がない(その事由が契約不履行であると詐取であるとを問わない)として、上告人支店に不渡異議申立手続を委託したのであるから、たとえ、右申立手続が目的を達し得なかつたとしても、それに因つて支払義務のない手形金を何故支払わなければならないのか、所詮被上告人の手形金支払は同人の任意の行為に外ならず、これによつて手形金相当額が被上告人の損害に帰したとしても、上告人支店の右申立手続の不手際に原因した通常生ずべき損害と断定することはできない。また民法第四一六条二項にいう特別事情による損害にも当らないことは勿論である。けだし、被上告人は本件の場合、手形振出人として第一義的手形金支払義務者であるのに、たまたま、上告人支店に右の手続遂行に不手際があつたからといつて、それがため上告人が手形振出人たる被上告人に対し手形金相当額を賠償金として支払わなければならないことになるのかその法律上の根拠はなく、信義公平の理念に照らしても到底肯認することはできない。
また、被上告人は静岡銀行に手形金を支払つたが、反面、被上告人は上告人支店に預託した同額の手形交換所に対する異議申立提供金の支払を要しなかつたのである。ところで、上告人支店は、被上告人が手形金支払義務がないとする事由の真偽については調査したわけではないが原判決理由は、この点について何等判示していない。されば、もし、被上告人に手形金支払義務があつたとするならば、本訴請求はまことに論外というの外はない。
要するに、原判決理由は損害賠償における相当因果関係を誤解し、上告人に損害賠償を命じたもので、法令の解釈適用を誤つた違法があり破毀を免れない。